気持ちの変化を大事にする
何を書こうか
少し悩んでいる。何を書けばいいのかわからないのだ。
理由としては、気温が急に上がったことが大きいように思う。梅雨前と梅雨明けの陽気は天候が安定していて過ごしやすいのだが、気温が高いことだけは困る。頭の温度が高いと思考が鈍るからだ。
もうひとつ、現在が中だるみの期間にあるからだろう。やれること、やるべきこと、やれたらいいと思うようなことはある。しかしそれらをやるような気持ちにならない。言葉がうまくまとまらない。
好きなことに理由は要るのか
私はとにかく基礎に遡ろうとする癖がある。何かを学ぼうと思えば基礎知識を求めようとするし、タスクを設けようと思えばその理由を確立しようとする。
しかし、何かを好きなことというのは理由をつけるべきものなのだろうか、と悩む。俗にはしばしば「好きなことに理由はいらない」という主張がなされるし、実際に感情に理由付けをするのはおかしなことだと同意する部分もある。
いっぽうで、建前であっても合理性のある好きな理由を作ることで、嫌になったときを乗り越えることができるんじゃないか、と考えているところもある。それが最初は好きなことであっても、飽きたり嫌になったりすることはよくある。私は飽き性なので、その山を越えられないことが多い。
気持ちの変化を大事にする
ここまでの文は、一切の推敲をしていない。思いつくままに書いた。そして何か結論を出して書き終えたかったので、この流れで思いついたことを結論とすることにした。
気持ちの変化に敏感になろう。その変化を大事にして、気持ちに従おう。そのことがおそらくは「好きである」という気持ちの強化につながるし、そうすれば理由も要らなくなる。何をすればいいか悩むこともなくなるだろう。気持ちが知っているからだ。
惰性でインスタントコーヒーを飲んでいるが、本当にそれを飲みたくて飲んでいるのだろうか。最近、インスタントコーヒーの雑な苦味にふと顔をしかめることがある。それは一瞬のことで、飲み終わる頃にはなんとも思っていない。
今日はドリップコーヒーを飲もう。それがきっと、気持ちの変化を大事にするということだ。