A7手帳、浅海散子

A7サイズの手帳。何かを書く。

断念に関するややネガティブな話

タイトルの通り、ややネガティブな話なのでつらいときには読まないでほしい。

特に今日(2022年5月11日)は世間全体に暗い話題がはびこっているので、本来ならこのタイミングで書くべきでない思いかもしれない。申し訳ない。

少し待つ。

話を始める。

私のパートナーが、身体的な理由でやりたい仕事を辞めることになる、かもしれない。まだ完全に決まったわけではないのでこう表現しておく。

私自身も同じく、精神または身体的な問題があって数年前に前職を辞めることになった。はたして本当にやりたい仕事だったか、暮らしている場所が自分に合った環境だったかは私の場合だと微妙なところだが、全体的に望ましいほうではあったと思う。

私が退職するときにはいろんな体験を得た。家族に守ってもらったり、逆に家族関係が不安定になったりした。職場の方々、特に直属の先輩と社長と話をして、相手から否定されたような感覚を得たり、あるいは自身の能力、性格、行動に嫌気や後悔を持ったりした。反対に、妙に前向きな思考を持つこともあった。

とりわけ兄弟とパートナーは私の思うところをよく受け止め、認めてくれた。彼ら(彼女ら)がいなかったらと思うとぞっとする。当時はそれだけ大切な存在だったし、もちろん現在もそうだ。

私を救ってくれた彼らだが、特別なことをしてもらったわけではない。両親だってもちろん私を受け入れてくれたし、何も差があったとは思わない。ではなぜ彼らが私にとって特別だったのかと考えると、それはたぶん、私が彼らを「いつでも傍らにいてくれる存在」だと認識していたからだと思う。両親がそこに含まれなかったのは立場関係だけが理由であって、決してひどい扱いを受けたわけではない。私を助けてくれたという点でパートナーと両親とに一切の差はないし、あのとき関わったすべての人々が私にとって等しく必要だったことを強調しておく。

さて、本題は現在のパートナーの話だ。私が数年前の自身の体験を述べたのはそのときと現在とで私とパートナーの立場が入れ替わったからであり、相手の状況を類推するためだ。ただしもちろん、主観的な体験と客観的な状況を同一視すべきでないことを強く意識して話をする。

パートナーが退職することになるだろうと知ったときは気が気でなかった。そのとき私は退職の話を彼女から直接聞いたわけではなく、取り急ぎスケジュールが取りやめになる可能性がある、という別グループ宛のツイートを読んだだけだった。正直なところすぐに連絡を取りたかったが、かといって話を聞き出したり、よく知らないままに励ますようなことはしたくなった。彼女のそばに行って、ただ私がそこに居ることを示したかった。それが最善だと思ったし、何よりも私自身がそうしたかったからだ。

その晩に相手側の家族や私と連絡を取ってくれて、私はひどく安心した。先に自分が落ち着かなければならなかったので、それからすぐに寝てしまった。

いま、あるいはこれから、彼女の感情が現実に追いついていくのだと思う。彼女は傷ついたり悲しんだりする気持ちを人より強く抑圧しがちなので、彼女自身が苦しさに気づくまで下手すれば数ヶ月かかるかもしれない。きっと前触れもなく急に泣き出すのだろう、そういう人だ。

家族、会社、かかりつけ医、役所、友人などあちこち相談や連絡をするのは彼女本人であって、当然ながらそのやりとりのすべてを私が把握するなんてことはできないし、そんな干渉の仕方はしたくない。私はただ普段どおりに接して、相談があればそれを聞くくらいの立ち位置だろう。ドライすぎるかもしれないが、普段がこんな感じなのだ。

しかし事情がわからないまま連絡を待っていたとき、私は彼女が恐ろしく遠くにいるような感覚に陥った。これが一種の杞憂であることは明らかだったので自制できたが、「本人じゃない」ということがこんなにも距離と隔絶を感じさせるのかと実感して驚いた。数年前に私が渦中にあったとき、彼女はどんな感情を持ったのだろうか。考えても詮ないことがいろいろと頭に浮かんだ。なぜか自分の親知らずの心配もした。びっくりするほど関係なかった。人間は不安が過ぎると頭がおかしくなるのだ。いや私だけかもしれない。自身の性質を他者一般に当てはめるのはよくない。でも普通の人はパートナーが退職すると聞いて急に自分の親知らずの心配はしないだろうなと思う。

うん、復職活動、しよう。焦るのはよくないので徐々に。私が働ける環境を募集しています。よろしくお願いします。